以前にも書いたが、私は肉豆腐が好き。最近はあまり流行らないようだが、レトロな居酒屋のメニューにあることが多いし、吉野家の牛鍋丼とかたつ屋の牛丼なども肉豆腐の一種だろう。牛肉(もちろん牛すじでも豚肉でも可)と豆腐は合うんだよね・・・
これも既に書いたが、林芙美子の「放浪記」に肉豆腐定食の描写がある。以下再度引用。今回は「新版放浪記」から。
値段は10銭とある。大衆食堂(が女性一人でも入れるレベル)の一番安い定食(日替わり定食?)のようだから、現在なら500円ぐらいだろうか。ふと気になったので調べてみた。
放浪記の舞台は関東大震災前後のはずなので、大正から昭和初期にかけての物価水準がわかればいい。「大正期のお金」というページによると、銭湯料金が3銭、同じサイトの「昭和前期のお金」だと銭湯料金が7銭。おそらく昭和前期に近い物価水準だろうから、「銭湯料金よりちょっと高い」ぐらい。やはり5、6百円程度なのだろう。
さて、問題は今の日本の「デフレ慣れ」である。「600円の食事は貧しい」なんて誰も(少なくとも若い人は)思っていないことだ。が、当時はまだ貧乏だったはずの林芙美子がこう書いているのだ・・・
やはり「東京大震災」に期待するしかないのかな・・・ そういえば、国分町は景気がいいらしいw
これも既に書いたが、林芙美子の「放浪記」に肉豆腐定食の描写がある。以下再度引用。今回は「新版放浪記」から。
朝、青梅街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て、
「姉さん! 十銭で何か食わしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」
大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が、
「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。
値段は10銭とある。大衆食堂(が女性一人でも入れるレベル)の一番安い定食(日替わり定食?)のようだから、現在なら500円ぐらいだろうか。ふと気になったので調べてみた。
放浪記の舞台は関東大震災前後のはずなので、大正から昭和初期にかけての物価水準がわかればいい。「大正期のお金」というページによると、銭湯料金が3銭、同じサイトの「昭和前期のお金」だと銭湯料金が7銭。おそらく昭和前期に近い物価水準だろうから、「銭湯料金よりちょっと高い」ぐらい。やはり5、6百円程度なのだろう。
さて、問題は今の日本の「デフレ慣れ」である。「600円の食事は貧しい」なんて誰も(少なくとも若い人は)思っていないことだ。が、当時はまだ貧乏だったはずの林芙美子がこう書いているのだ・・・
私の前には、御飯にごった煮にお新香が運ばれてきた。まことに貧しき山海の珍味である。合計十二銭也を払って、のれんを出ると、どうもありがとうと女中さんが云ってくれる。お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗かだと思う。だけど、あの四十近い労働者の事を思うと、これは又、十銭玉一ツで、失望、どんぞこ、墜落との紙一重なのではないだろうか――。
やはり「東京大震災」に期待するしかないのかな・・・ そういえば、国分町は景気がいいらしいw