京都物語2の続き。

就職して一年後の5月の連休にも京都へ出かけた。出発前、なぜかオヤジが小遣いをくれた。東京へ戻ってきた日の晩に食道静脈瘤破裂で死んだ。死期を悟っていたのだろう。

その一年後(1991年)の秋、京都府相楽郡精華町のとある研究所に出向することになった。本来、出向者は近鉄高の原駅近くの借り上げ社宅に住むことになっていたのだが、私はわがままを言って大阪の桜川に社宅を借りてもらった。当時はまだバブル経済の余韻が残っており、そんな贅沢も許された。二年後には状況が激変した。

毎日、近鉄難波から西大寺乗換え、高の原から送迎バスで通勤した。大阪、奈良、京都と三府県をまたぐ長距離通勤だったが、方向が一般人と逆だったため楽だった。近鉄奈良線内ではゆっくり読書もできた。

休日には大阪市内をめぐったり、神戸や生駒方面にでかけることが多く、京都市内まで出かけることは少なかった。それでも平均して二ヶ月に一日ぐらいは京都市内にも出没した。

今頃はちょうど祇園祭のクライマックスだろう。大阪在住中、一回だけ見物したことがある。宵々山の日だったはず。家を見せびらかす風習にびっくりした。鉦の音は幻想的だった。さすがに帰りの京阪電車は込んでいた・・・