究極の傍観者

歴史、文学、宗教など人文科学系情報を中心にしようとは思っていますが、それ以外のことも書きます。人間のすることはみんなどっかでつながっていますから。記事内容に関するコメントやトラックバックはご自由にどうぞ。

用賀

2015年10月から11月散歩記録

またまた間が・・・ 

新しい順に。

11月7日。江戸東京博物館通常展。時代を逆順。東京だけで十分2時間。その後中央線沿いに歩いて神保町まで。酔の助。

10月31日。神保町古本祭。そのまま秋葉原。さらに上野。JRで有楽町に戻ってBaden Baden。

10月24日。北小岩北野神社祭礼。かなりマイナーなはずw 京成江戸川駅まで電車。祭りは駅のすぐ近く。ただしテキ屋はいない。本場のはずなのに。その後京成で京成関屋。久しぶりに北千住を散策。千住大橋に戻って「ときわ」。イワシの塩焼き。

10月17日。鬼子母神御会式。高田馬場まで電車。歩いて雑司が谷。その後サンシャイン。埼京線というか旧赤羽線で十条。斎藤酒場。

10月10日。用賀神社祭礼。家から直接。その後用賀中町通りを等々力。東急で蒲田。蒲田駅周りを歩いてから有楽町Baden Baden。

よかった覚えてたw

千歳船橋稲荷森稲荷神社と用賀神社祭礼

10月12日の記録。

台風は遅れているようなので散歩可能。久しぶりに下高井戸起点。

日大文理学部から経堂、線路沿いに千歳船橋。馬鹿でかい太鼓の音が響く。府中の大國魂神社の太鼓もでかいがおそらく関係有るのだろう。境内は子供で賑わっている。

千歳通りから世田谷通り、用賀中町通りを経て用賀。ここも子供が多い。下手をすると私が子供だったときより多いのかも。「少子化なんてどこの国の話?」と思ってしまうが、要は世田谷区内にマンションが増えたせいだろう。昔は畑が多かったから・・・

散歩終了。田園都市線(ほんとうは新玉川線といいたいところだが)で半蔵門線直通神保町。酔の助。連休の中日だが結構混んでいる。いい店だ。なんでもっと前に気が付かなかったのか。もうやってない階上のゲームセンターミッキーには30年ほど前から来てたのにw

散歩記録:勝利八幡神社と用賀神社祭礼

10月8日の記録。

下高井戸駅から散歩開始。

日大桜ヶ丘高校を通り過ぎると「勝利八幡神社」。ここのお祭りははじめて。小さい神社だがそれなりに賑わっている。変わった絵馬は発見できず。

その後は世田谷のわかりづらい道を抜けて経堂駅。農大通りを世田谷通りまで。農大も学園祭の準備中。

用賀中町通りをずっと歩いて用賀神社。ここのお祭りはおそらく36、37年ぶり。小学生のときに遊びに来たことはあるが、その後ずっとご無沙汰。自宅から10分程度の距離なのだが。

用賀神社のお祭りはかなり賑わっている。ブログには書かなかったが先週は桜新町と新町がお祭りで、私も伊富稲荷と久富稲荷にお参りしてきたのだが、ちょうど同じぐらいの人出だった。町の規模が同じぐらいだから当然かも。商店街としては用賀のほうが賑やかだけど・・・ 用賀といえばオラクルだが、地元の祭りに協力はしていないようだ。目立たなかっただけで、こっそり協力しているのかもしれないが。

散歩は用賀で終了。電車で銀座に出てBaden Baden。今日は普通に混んでいる。

「東京古道散歩」と都内の「東西問題」



「新刊本なんて要らない、買わない」が最近の持論だったが、なぜか買ってしまった。予備知識ゼロだったから完全に衝動買いだ。平積みの本なんて買うのは何年ぶりだろう・・・

東京の旧街道、しかも江戸「以前」の街道の概要と現在の様子を紹介している本である。筆者(荻窪圭)は地図マニアらしい。古地図や道に対する愛情が感じられる。しかし、「道そのもの」以外の歴史や文化についての記述が少ないのが残念。相当マニアックな本だと思うが、平積みされてるぐらいだから売れているのだろう。散歩は金がかからない趣味だからかな・・・

私は散歩好きだが、「道」自体にはあまり興味がない。しかし、なにせ世田谷原住民だから、この本の153ページ付近に書かれている「旧大山街道」と「新大山街道」の関係なんか子供のころから知っているし(両道の分岐点近くの駄菓子屋を愛用していたw)、上町や三軒茶屋も行動範囲内だったから、「旧街道」がどんなものなのかは感覚でわかる。ちなみに、以下のような特徴があれば「旧街道」である可能性が高い。あくまで「可能性」だが。

・細くてくねくねした道なのに、車の交通量が多い(地元民が抜け道として使うことが多いため)。

・交差点に「道祖神(庚申塚)」や「お地蔵さん」が祀られている。

・寺や神社への参道になっている。

・古い木造建築二階建ての米屋、酒屋などが残っている。

・「現在の」主要な道路や駅からは離れているのに、商店街になっている。

面白いことに、上記のような「旧街道」の名残は、東京の東部よりも西部のほうに残っていることが多い。この本で取り上げられている「古道」の多くも東京西部を通っている。もちろん、東部は空襲でやられて道が変わってしまったせいもあるだろうが、それ以上に「江戸時代以前は、西部地区のほうが中心だった」ことも関係しているようだ。昔(江戸時代以前)は文字通り「府中」が武蔵の国の中心だったのだ。

世界の歴史も日本の歴史も、ある意味「西と東の対立」の歴史なのだが、東京の歴史も、「西と東」の視点で読み解くことが可能かもしれない。「西」が優勢だった「江戸以前」。幕府が成立し、埋め立てが進んで「東」が優勢になった「江戸時代」。関東大震災や戦災により「東」が落ちぶれていた昭和後期時代。「都庁の新宿移転」が平成3年だから、ちょうどバブル期が「西」のピークだったのかも・・・ 

最近では、「西」側がかなりあやしい。とにかく高齢化がひどく(自分も含めw)、街に活気がない。バブル崩壊後もわりと土地価格が高いことと、規制や住民エゴにより高層マンションが建ちにくいことも影響しているのだろう。誰か「東京の東西問題」についてちゃんと分析してくれないかな・・・ 今気づいたが、「高齢化と規制と住民エゴのせいで元気がない」って、日本全体の姿でもあるw

関連記事:
用賀の駄菓子屋

今日は東條英機の誕生日、明日は隅田川花火大会

冒頭から話がそれるが、最近私はgoogle日本語入力(IME)を利用している。これを使うと、歴史上の有名人やタレントなど、少なくともWebによく記述されているような人名はほぼ間違えずに変換することが可能だ。たぶん「純粋に」統計的に辞書を作成しているため、「片手落ち」とか「気違い」なんかも楽々変換できるw

ところが、「東條英機」だけはダメ。「東條英機」という文字列の出現頻度は高いはずだから、これは意図的(人為的)なものだろう。日米戦争はまだ終わっていないらしいw

東條英機については何回か書いたのでご紹介。といってもみんな用賀がらみの話だ・・・

世田谷と陸軍

東條英機と私

桜新町一丁目と用賀一丁目


そして明日は浅草隅田川の花火大会。ここ10年以上、ほぼ毎年見物に行っている。たぶん明日も出かける。去年の記事と、携帯に残っていた下手な写真をご紹介。

隅田川花火見物

去年の写真。

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