究極の傍観者

歴史、文学、宗教など人文科学系情報を中心にしようとは思っていますが、それ以外のことも書きます。人間のすることはみんなどっかでつながっていますから。記事内容に関するコメントやトラックバックはご自由にどうぞ。

泉鏡花

「あたり芋」と阿呆グーグル

青空文庫で泉鏡花の「深川浅景」を読んでいると、

然《しか》も頬骨《ほゝぼね》の張《は》つたのが、あたり芋《いも》を半分《はんぶん》に流《なが》して、蒸籠《せいろう》を二枚《にまい》積《つ》み、種《たね》ものを控《ひか》へて


という記述があった。はてさて「あたり芋」とはなんだろう? 蕎麦屋のつまみだからジャガイモやサツマイモのはずはない、おそらく山芋料理だろうが確信が持てない。

とりあえず検索してみる。まず普通に「あたり芋」で検索してもまったく役立たない。最近のgoogleは馬鹿すぎる。引用符付きで検索するとやっと「キザミ芋・あたり芋」という用例が。入ったことはないが有名な店だ。やはりヤマノイモの料理らしい。

今度は「"泉鏡花" " あたり芋"」で検索。ようやくまともな情報が見つかる。同じ鏡花の「春着」にも「あたり芋」の用例があるようだ。注釈もある。
あたり芋 擂り芋。ヤマノイモの根をすりおろしたもの。醤油や酢で食べたり、とろろ汁にする。

よかった。やはり山芋だ。スルメ→アタリメの要領で「すり芋」→「あたり芋」なんだろう。もっともこれも推測。「"スルメ" "アタリメ" "すり芋" "あたり芋"」で検索しても何も引っかからない。が、おそらく間違いないだろう・・・

津波と原発と夜叉ケ池

原発事故のニュースを読んでいたら、ふと泉鏡花の「夜叉ケ池」のことを思い出した。もしかしたら、現代日本の鐘つき男が、鐘をつくのをやめちゃったからこんな事故が起きたのかも・・・

汝等(きさまら)は、その成金(なりきん)に買われたな。これ、昔も同じ事があった。白雪、白雪という、この里の処女だ。
(貴様らは東電や政府に買われたな、昔も同じことがあった、貞観津波だ


世迷言(よまいごと)を饒舌(しゃべ)るな二才。村は今既に旱(ひでり)の焔に焼けておる。それがために雨乞するのじゃ。
(デフレ日本で、いつ起きるか分からない津波対策なんかに金を使えるか。古い原子炉だって使い続けるしかないんだ!)


物型の最後はこうだから・・・

晃 (鎌を上げ、はた、と切る。どうと撞木(しゅもく)落つ。)
途端にもの凄(すさまじ)き響きあり。――地震だ。――山鳴(やまなり)だ
(中略)
鉱蔵 鐘を、鐘を――
嘉伝次 助けて下され、鐘を撞(つ)いて下されのう。
(中略)
晃 波だ。
と云う時、学円ハタと俯伏(うつぶ)しになると同時に、晃、咽喉(のど)を斬(き)って、うつぶし倒る。
(中略)
村一同昏迷(こんめい)し、惑乱するや、万年姥(まんねんうば)、諸眷属(しょけんぞく)とともに立ちかかって、一人も余さず尽(ことごと)く屠(ほふ)り殺す。



「高野聖」と「少女地獄」

「少女地獄」で思い出した。

夢野久作は確実に変態だが、泉鏡花も相当変だ。代表作である「高野聖」にはこんな一節がある。

初手(しょて)は若い男ばかりに利いたが、だんだん老人(としより)にも及ぼして、後には婦人(おんな)の病人もこれで復(なお)る、復らぬまでも苦痛(いたみ)が薄らぐ、根太(ねぶと)の膿(うみ)を切って出すさえ、錆(さ)びた小刀で引裂(ひっさ)く医者殿が腕前じゃ、病人は七顛八倒(しちてんはっとう)して悲鳴を上げるのが、娘が来て背中へぴったりと胸をあてて肩を押えていると、我慢(がまん)が出来るといったようなわけであったそうな。

この娘はその後・・・ あとは読んでのお楽しみw

もちろん「高野聖」はミステリではないから、「少女地獄」とは別な読み方をするべきなんだろうけど、明らかに共通する何かを感じる。要は「血と女と死」に対する執着なんだろうけど、正確にはなんて言ったらいいんだろう? たんなるマゾヒズムとも違うようだし・・・


夜叉ヶ池が見たい!

泉鏡花の「夜叉ヶ池」が好きだ。「高野聖」も「眉かくしの霊」も好きだが、「夜叉ヶ池」にはかなわない。

だから原作の戯曲もくり返し読んでいるし、何年か前に春猿と段治郎による歌舞伎も見た。ただし玉三郎主演の映画は見ていない。大昔、テレビで放映があって見るつもりだったが、帰りが遅くなって見逃したことを今でも悔やんでいる。

普通の映画ならDVDを買うなり借りるなりすれば済むことだが、この「夜叉ヶ池」のDVDを入手することは不可能だ。Wikipediaから抜粋。

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更に、それを元にした1979年製作の坂東玉三郎主演、篠田正浩監督の映画も作られたが、テレビでは1回放送されただけで、それ以降一部の権利者がソフト化を拒否する等、権利関係の調整が難航しているため、DVD発売等の二次利用の見通しは立っていない。パブリックドメインとなる2050年(公開後70年)まではソフト化、ネット配信は絶望的であり、それまでに原板やプリントが廃棄されれば永久に日の目を見ないことになる(封印作品)。
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2050年には確実に私は死んでいるのでなかば諦めかけていたが、最近この映画の冒頭部分の動画を発見できた。"YASHAGAIKE"とローマ字で検索しないと見つからないので、気がついていない日本人が多いのだろう。そのうち削除されるかもしれないが、貴重な映像なのでご紹介。英語字幕がついているから昔の欧米のテレビ放送の録画なのかも・・・




なんとか関係者で折り合いを付けてDVD化してくれないかな・・・ なんなら玉三郎と海老蔵とかで新しく撮り直してもいい。音楽が冨田勲でさえあれば・・・




http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card3407.html

高野聖と永平寺

中野長者伝説と曹洞宗の祈祷でさらに思い出した・・・

高野聖は大好きな小説で何度も繰り返し読んでいる。

高野聖というぐらいだから、真言宗の僧侶が出てくるわけだが、その僧侶は永平寺に用があり、北陸に向かう途中で主人公と出会うという設定になっている。

"聞けばこれから越前へ行って、派は違(ちが)うが永平寺(えいへいじ)に訪ねるものがある、但(ただ)し敦賀に一泊(ぱく)とのこと。"

曹洞宗との関わりはそれだけ。だからどうだっていう話なのだがなんとなく興味深い。

もう一つ、真言宗、特に新義真言宗は念仏を重要視しているのだが、この小説の僧侶も念仏を勧めている。これも別に話の本筋ではないんだけどw

 "ただ挨拶(あいさつ)をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄(うっちゃ)っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故(わざ)とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向(うつむ)けに床(とこ)に入ったまま合掌(がっしょう)していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」"

まあ、宗教上の話はどうでもいい。お化けとか幽霊とか怪しい女性に興味がある人なら高野聖を読んで損はない。一応amazon をリンクしておくが、青空文庫でタダで読めるし・・・



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