究極の傍観者

歴史、文学、宗教など人文科学系情報を中心にしようとは思っていますが、それ以外のことも書きます。人間のすることはみんなどっかでつながっていますから。記事内容に関するコメントやトラックバックはご自由にどうぞ。

日本橋

散歩記録:べったら市と香取神社祭礼

10月20日の記録。

ひさしぶりにべったら市が土曜に重なったので出かける。馬喰横山まで都営線。

小伝馬町駅まで歩いて会場到着。二日目のせいか混雑はさほどではない。なぜかこの時期に盆踊りもやっている。

べったらや他の露店を見物しながら宝田恵比寿神社と椙森神社にお参り。やはり二日目のせいかさほど並ばずに済んだ。

その後JR神田駅まで歩いて京浜東北線で大森まで。大井町の鹿島神社を目指す。駅前に「信濃路」という面白そうな蕎麦屋というか定食屋というか居酒屋を発見。蒲田や鶯谷にも同系列の店があるらしい。こんど行ってみよう。

池上通りを大井町方面に歩いて神社到着。こちらは大盛況。子供も多い。ただし本殿前にはたいして列がない。みなお参りより露店に興味があるようだ。これが正しい。昔はみんなそうだった。最近やたらと真剣に拝んでいる人が多すぎるw

ひと通り見物して大井町駅へ。散歩終了。また京浜東北で有楽町。Baden Baden。こちらは大盛況。やはり東京見物の人が目立つ。ディズニー帰りの人とか・・・

大阪市内と長岡天神夏祭り見物

旅行二日目、8月25日の記録。

四条から京阪特急で大阪北浜。地下鉄堺筋線で動物園前。まずは新世界見物。昨年よりさらに賑わっている。串カツ屋はどこも行列ができている。なぜかビリケンさんが街中のいたるところに。これも去年はなかったような・・・

ひと通り歩きまわってから日本橋電気街。暑いが結構賑わっている。いったんなんば駅近くまで。地下街を通って日本橋駅。今度は黒門市場を抜けて、高島屋の資料館を見物してまた恵美須町駅。なぜかこんなところにほうとうとか吉田うどんを売る店(甲州麺)があったので昼食。冷やしゆうがおうどん。珍しい。

地下鉄を乗り継いで東梅田。こんどは梅田地下街を見物して、阪急古書のまちに向かう途中でユザワヤを発見。なんかだんだん東京と変わらなくなってきたな、特に北の方は・・・

大阪見物終了。阪急で長岡天神へ。長岡京ははじめて。適当に歩いて長岡天神到着。すでにかなり賑わっている。

本格的な祭りは夜になってから。到着は17時すぎぐらいだったのでのんびり境内を一周。太鼓演奏が始まるころには大混雑。だいたい雰囲気はわかったので神社をあとにして長岡天神駅に戻り、さらにJRの長岡京駅まで。こんなところに村田製作所の本社があったのね・・・ JRで京都駅に出てもかえって面倒なのでもう一度長岡天神駅まで戻って阪急で河原町。また盛り場をうろついてから夕食と酒。二日目終了。



石切周辺の宗教施設

2月12日の記録。

京都からは近鉄で西大寺乗り換えで石切。京都市内は晴れていたが、生駒近辺は雪。が、小振りだし、気温もそれほど低くないので、散歩するのに支障はない。

石切劔箭神社には数年前にも来たことがある。神社の門前の茶屋のテレビで斎藤佑樹と田中将大の死闘を見物した覚えがあるから4年前の夏のはず。そのときは石切神社の本殿側(駅から降りる側)しか散策しなかったので、今回はちょっと山の上の方にも行ってみる。

参道の直前の曲がり角を曲がって線路を超え、山を登って行くと、数分で怪しげな地区に到着。こちら側には占いの店などはないが、とにかく宗教団体が乱立している。まずは石切神社の上之社。ここは普通の神社。

が、変わった池がある。何千、何万もの陶器製の小さな亀(御礼亀)が収められている。昔は本物の亀で願掛けをしたらしい。絵馬だって昔は本物の馬だったはずだから同じようなものだが、やっぱり「亀」は珍しい。

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次は登美霊社。小屋のような祠の中にひっそりとあかりが・・・

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他にも八大龍王社、夢観音など変わった施設が乱立している。以上はみんな石切神社の管轄(夢観音も神社が管理しているらしい)が、他の宗教団体もある。白光大神を祀る宗教団体が少なくとも二つあることを確認。その他密教系や神仏習合系の宗教団体があちらこちらにある。

噂では、生駒山麓の西側には、あの「朝鮮寺」もあるはずなのだが、部外者がいきなり尋ねたところで本当のことはわからないだろうから、適当に切り上げて下の方(石切神社近辺)を見物することにすする。

線路を超えて参道。不思議なもので、線路より山頂側には、奇妙な(失礼)宗教施設が乱立しているわりには「邪悪な気」が感じられないのに対し、こちら側は「人間の欲望が生み出す気」が充満している。病気直しや縁切りを願って訪れる人間が多いからだろうか・・・ やはり本当に怖いのは神仏よりも人間だw 占いの店だらけの参道の様子や石切神社のお百度参りに関しては他のブログにも情報がたくさんあるので省略。

お参りしてから、ヨモギうどん。これはうまい。石切駅まで戻って日本橋。久しぶりにオタロード。二ノ国のすれちがい通信を試したが、また駄目だった・・・ 難波から淀屋橋まで地下鉄、京阪で三条に戻って、繁華街散策して酒と夕食。昼間は晴れていたが夜は京都も雪。がそれほど寒くはない。

石切に関しては、大阪DEEP案内の記事が面白いのでぜひ。

http://osakadeep.info/osakapref/higashiosaka/

神保町物語7

神保町物語6の続き。

秋葉原物語でも書いたが、1991年に大阪に引っ越した。

近鉄や大阪市営地下鉄の「日本橋」駅付近には大きめな古本屋が数軒ならんでおり、たびたび出入りした。「秋葉原」と「神保町」以上に、大阪では電気街と古書街は近い。というか、電気街の中にも何軒か古書店がある。明治期には全体が古書の街だったらしい。

旧大阪球場にも古書店が多く集まっていた。天王寺駅付近にも面白い古本屋があった気がする。距離的に近いので、自転車であちこち見て回った。

市内北部の梅田近辺にはあまり出没しなかったが、「阪急古書のまち」は好きだった。隣の「かっぱ横丁」の雰囲気のせいかも。

神保町に話を戻す。大阪在住中、東京へは数ヶ月から半年に一回の割合で仕事で出張したり、実家に帰ったりしていた。東京へ戻っても、実家には立ち寄らないことが多かったが、神保町や秋葉原には足を運んでいた。神保町や秋葉原こそが私にとっての「ふるさと」なのだろう。

秋葉原物語6

秋葉原物語5の続き。

1991年の秋に、大阪の桜川というところに転居した。
難波から一駅という便利なところだったので、あちこちを自転車で回った。

大阪日本橋の電気街「でんでんタウン」も自転車なら十五分程度だったから、時々ソフトや家電などを買ったり、単に店を冷やかしたりしていた。その足で新世界へ行き、お好み焼きや串揚げを食べ、さらに南下して釜ヶ崎飛田遊郭(さすがに恐くて入ったことはない)を見物し、帰ってきてからゲームをやる、というのが休みの日のすごし方だった。

1994年ぐらいになると、マハーポーシャの動きが目立ってきた。1995年になると、あの地震だ。そのとき棚から落ちて壊れたテレビはまだ家にある。そして、オウム(オーム)の暴走。Windows95の発売。

オウム(オーム)が悪事にパソコンを使っていたことを知るまで、個人的にはパソコンなんておもちゃだと思っていたのだが(仕事ではSunやHPのワークステーションを使っていた)、いろいろあって結局PC主体の会社に転職し、1995年冬に東京に戻った。

戻ってから秋葉原に行くと、T-ZONEが大きなビル(今のドンキ)で営業していた(もっと前からやっていたのかも)。そこで、パラレルポート接続のCDドライブ(倍速)を買ったことを覚えている。家のパソコンには、まだCDドライブが無かったのだ!

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