神保町物語4の続き。

交通事情も書いておこう。今でこそ自宅(世田谷区桜新町)から地下鉄一本で神保町に出られるが、高校〜浪人時代には半蔵門線は「半蔵門」までしか開通していなかった。

そのため、自宅から直接神保町に行くときには、地下鉄千代田線で新御茶ノ水までいってから界隈を散歩することが多かった。高校や予備校の帰りに行くときには国電(まだ国鉄時代なので)で、水道橋や御茶ノ水駅を利用していた。

帰りはそれらの電車を利用するか、都バス(渋谷〜御茶ノ水)を利用してのんびり帰ったりしていた。

また、浪人中に原付免許をとってからは、スクーターで通うこともあった。水道橋付近でスピード違反でつかまったことがある。

ただ、そのころの私にとって「神保町」と「秋葉原」はまったく別の興味対象であったため、地理的にはきわめて近いにも関わらず、両方を同じ日に散策したことはあまりない。今はたいていどちらの町もはしごしているのに。

私の中で、「神保町」と「秋葉原」が統合されたのは大学生になってからである。それはまた次の機会に(まあ答えは単純明快だけど)。

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