究極の傍観者

歴史、文学、宗教など人文科学系情報を中心にしようとは思っていますが、それ以外のことも書きます。人間のすることはみんなどっかでつながっていますから。記事内容に関するコメントやトラックバックはご自由にどうぞ。

神保町

神保町物語2

神保町物語1の続き。

中三の冬休みになるまで、塾とか予備校に通ったことがなかった。その当時の世田谷では珍しかった。同級生は、たとえどんなに貧乏な家の子でも、塾ぐらい通っていたはずだが、私は学校の勉強に興味がなかったし、親も放任主義だったため、そのたぐいには縁が無かった。

ところがなぜか高校受験直前、近所の幼なじみに薦められ、駿台の中学生向け冬期講習に参加することになった。今思えば親が影では心配していたのだろう。会場は奥沢の区民会館が入っているビルだったと思う。授業を受けてみると、公立中学校の授業とは水準が違うことに驚いた。当時の私は中学校の教師なんて馬鹿にしていて、勉強なんてたいしたことじゃないと思っていたのだ。

駿台は面白いな、と思って、親にねだって直前講習(?)にも参加させてもらい、今度は水道橋の東京デザイナー学園会場に通った。近くに神保町があることがわかり、早めに家を出て、本屋を何軒か回ってから授業を受けた。ちょうどそのとき喫茶店に入ることを覚え、立ち食い蕎麦屋を愛用するようになった。どうしようもないガキだった。結局そのままどうしようもないオヤジになってしまった。

高校生になると、もっと色々なことを神保町近辺(水道橋、御茶ノ水)で経験することになるのだが、それはまた次の機会に。

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神保町物語1

初めて神保町に行ったのは、たしか中学二年のころ。

「神田には古本屋街」がある、ということだけしか知らなかったので、神田駅(まだJRではなく日本国有鉄道だった)から歩いて、なんとか神保町までたどり着いた。同じことをやってしまう人は多いようで、現在の神田駅にはおせっかいにも「神保町へは地下鉄をご利用ください」という趣旨の張り紙がある。方向さえ間違わなければ歩いたってたいしたことはないのに。

今でも本は好きだが、中学生のころはもっと本の虫だったから、古本屋だらけの街に感動した覚えがある。ただ、どの店に入ったとか、なんか本を買ったのかとか、そもそも帰りはどうやって帰ってきたのか、など具体的なことは覚えていない。たぶん御茶ノ水が水道橋から国電で渋谷に戻ってきたんだろう。なにしろその時は新玉川線(現田園都市線)がまだできたばかりで、半蔵門線は青山一丁目までしかなかったから、地下鉄経由ではなかったと思うが、確証は無い。

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