"比叡山延暦寺が暴力団参拝を拒否 山口組に“絶縁”を通知"というニュースを読んで驚いた。確かに組員が集団で法事をしたりするのはまずいかもしれない。が、

翌年8月、組関係者は再び参拝。約1週間前に電話で「位牌に参拝したい」と寺側に連絡があり、数人の男が位牌前で焼香した。

ことが問題だというから、暴力団組員は私的、個人的にすら参拝してはいけないらしい。

これはとんでもない話。いろいろ突っ込みどころがある。

まずは、仏教的・宗教的な問題。どんな人間だって救ってくださるのが仏様。地蔵菩薩は「すべての衆生が成仏するまで自分は成仏しない」という誓願を立て、今も地獄を歩きまわっておられるのだ。比叡山は天台宗だから、人間どころか「山川草木悉有仏性」のはず。悪人正機説だって叡山出身の親鸞の教え。宗教が異なるが、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。」(ルカによる福音書)という言葉もある。医者といえば、そのうち「暴力団員の診療お断り」なんて病院ができるのかも・・・

もう一つ。そもそも「比叡山」自体がヤクザみたいなもんなのに、なんで暴力団を批判できるのかということ。比叡山といえば悪僧。朝廷を脅迫したり、三井寺と稚児をめぐって争ったり、女人禁制(昔)のはずなのに女を囲っていたり・・・ 過去はともかく、今だって土地を売ったり高額な葬儀料を取ったり水子のタタリで脅したり・・・ もちろん比叡山に限ったことではなく、どんな寺だって(そして外国の教会だって)似たようなもんだろうが、それでも存在しているのは、「宗教団体には色々問題はあるが役立つこともある」と考える人が多いから。要は必要悪。ヤクザだって似たようなもんだと思うのだが・・・

警察の横暴も気になる。この発言は問題だ。ある行為が宗教的か否かは当事者にしかわからないはず。
ある警察幹部は「暴力団が法要を営む際は資金集めや示威行為が目的とみてほぼ間違いない」と指摘。集団参拝についても「宗教的活動ではなく、単なる組活動だ。信教の自由などと言っている場合ではない

警察はくだらないことばっかりやってないで世田谷一家殺害事件とか新町殺人事件の犯人をはやく逮捕しろ。断っておくが、私ではありませんw

今東光和尚が生きておられたらなんて言うだろう・・・