江戸から明治期にかけてのの「口入れ屋」に関しては、落語を題材にしてそのうち何か書くつもり(「素人鰻」か、そのものずばり「口入屋」かな、まあそのうち)。今日は昭和初期の「斡旋所」について、私が大好きな「駅前旅館」から引用。新潮文庫だと155ページ目。

それは鮨屋の職人や、蕎麦屋の出前持なども同じことなんで、戦前には失職中の鮨屋の職人は斡旋所に住込んで養われている制度になっておりました。今日ではそれが住込だけは許可されておりません。斡旋料は鮨屋の職人の場合は給料の二割です。ほかに毎月二百円ずつ、職人と鮨屋の主人から会長に納める規則でございます。

その代りに、会長たるもの聊か責任が重い。蕎麦屋の出前持なんか、頭に丼を載せて自転車で走るんで、もし縮尻(しくじ)って丼を毀したら損害は半分弁償だ。(中略) 会長が出前持の腕を試験した上で送ってよこします。

もちろん斡旋所もピンハネ屋に過ぎない。が、ピンハネ率は妥当な数字だろう。給料の三割だとしても失業中の住居と生活費が保証されているのだ。さらに、会長は職人の「質」に関しても責任を持っている。「職人の質」がいいから、雇い主もちゃんと良い給料を払っていたらしい。

このまともな「斡旋所」と比べると、現在の「派遣業界」や「IT土方業界」なんて完全なゴミだ。ピンハネ率だって昔より酷いし、労働の質なんて考えたことはない。もちろん責任は一切取らない。

売国奴「ケケ中」は、こんな「派遣会社」の取締役会長だ。売国奴だし、下手すればまともな日本人じゃないかもしれないから、「駅前旅館」なんか読んだことはないだろう。もし読んだら、「売春や賭博の描写があるいかがわしい本」とかなんとか理屈をつけて発禁にするかもしれない。「アメリカではこんな本は許されません」とか言いそうだw