以前、「軽薄男の日本語の歌が嫌い」だと告白した。もっといえば、「日本語の歌」自体がそれほど好きではない。外国語の歌のほうが好みだ。最近の若者は「なにがなんでも日本語じゃなければダメ」らしいが、ある程度以上の年齢なら「英語の歌の方が好き」という人も多いと思う。

別に私は外国語が得意ではない。英語の歌詞だって聞き取れないことのほうが多い。洋楽好きの年寄りの多くもそうだろう。変な話だが、実は「歌詞の内容がよくわからない」からこそ外国の音楽は安心して聞けるのだ。

この観点で、「軽薄日本人男性の歌が嫌い」な理由も説明できる。「軽薄日本人男性」の気持ちは自分自身がよく理解できるので、その気持ちが素直に歌われている歌を聞くのが恥ずかしいのである。一方、女性の本当の心の奥は理解できないから、女性ボーカルなら日本語だってかまわない。

「わからないからこそありがたい」のは「歌」ばかりではない。「お経」だってそうだ。もちろん日本語で読み下す場合もあるが古文だし、だいたいは漢文、場合によってはサンスクリットの真言だ。ほとんどの人にとって内容はチンプンカンプンのはず。般若心経や法華経ぐらいは現代語訳を読んだことがある人も多いだろうが、生臭坊主にあの内容をわかりやすい現代日本語で説明されても、けっして「ありがたい」などとは思わず、「何いってるんだこの嘘つきめ!」となるのが普通だろう。しかし、同じ坊主が適切に鉦や木魚を叩きながら読経をすると、「なんだかわからないがありがたい」と思えるものである。

お経ではないが、「ミサはラテン語で行うべき!」と主張している異端派がいるらしい。おそらく気持ちは同じだろう。聖書や聖歌の意味的な内容なんてどうでもいいのだ。変に中身がわかってしまうと反発したくなる。意味なんて考えるのをやめて、純粋にメロディー、リズム、ハーモニーを楽しむほうがためになる。決して神父はそうは言わないだろうけどw