昼、NHKテレビで宮島のことを放映していたので、古いことを思い出した・・・

昔、1980年代後半から1995年まで、私は青春18切符の愛用者だった。当時は一枚ずつ切り離して使うことができたから、金券ショップで一枚(一日分)だけ買って日帰り鉄道旅行を楽しむこともよくあった。

で、1995年、地震とオウムの年のことだ。私はやはり一枚の18切符を持ち、湊町駅(今のJR難波駅)から関西本線、奈良線と乗り継いで京都駅に遊びに行った。家(当時は浪速区桜川に住んでいた)を出たのが遅かったので、京都についたのはもう夕方。せっかくの切符なのでもっと遠くに行きたいが、翌日は仕事があるので温泉などに行くわけにはいかない。「そうだ、神戸にいってサウナにでも泊まって、そこから出勤すればいい!」と思ったのだが、なぜか気が進まず、結局大阪駅で下車、普通に環状線で大正駅経由で帰宅。これが1月16日のこと。翌朝とてつもない衝撃で目を覚ますとテレビが棚から落ちた。そのときケースにひびがはいったテレビはまだ自宅にある。今でもちゃんと映る・・・

3月になり、サリン事件の前だったか後だったか、とにかく九州に出張する機会ができた。たしかまだ新幹線は途中に不通区間があったときだったので、行きは素直に飛行機を利用した。で帰りは春の18切符をフル活用した。二枚用意し、一日目は北九州市内を放浪。門司のサウナに泊まり、翌日二枚目の切符と共に門司駅を出発した。

普通列車を乗り継ぎ、途中宮島では宮島航路を利用した。もちろんJRの切符で乗れるほうだ。一時間ほど島内を散策してまた山陽線に乗り込んだ。たしかこれが午後2時ぐらいのことだった。

問題はその後。当時兵庫県内の各鉄道は各所で寸断されており、JR山陽本線も神戸市内で少なくとも二箇所不通区間があった。その区間のどちらかは阪神、一方は阪急が代替輸送を行っていたので、JRの正当な乗車券(もちろん青春18切符も含む)を持っていれば、二つの私鉄の切符を買うことなく利用可能だった。

もちろん、阪神間の三鉄道は結構離れた場所に通っているので、代替輸送といっても駅から二、三十分歩く必要があった。歩きながら周りを見渡すとあちこちに全壊した家がある。不思議なことに、全壊した家のすぐ隣に木造の、それも見た目にはけっして頑丈そうではない家が無傷で建っている。柱の数の問題なのか、あるいはやっぱり運命なのか。とにかくそんな風景を眺めながら大阪まで戻った。途中、昼飯や飲み物には多少金を使ったが、交通費は18切符の代金以外一切使わなかった・・・

今思えば、いくら制度上は問題ないといえ、安い18切符だけでそんな場所を旅行したことはまずかったな、と思っている。せめて阪神と阪急の入場券ぐらいは買うべきだった、記念にもなったし・・・