神保町物語2の続き。

三鷹市と武蔵野市の境にある高校に入学した。それだけでほぼ特定できてしまうと思うが、もっとヒントを言えば「集中治療室」高校だ。

今どうなってるのかは知らないが、当時はまだ設立されたばかりで、教師も皆若く、何をやっても許されるような雰囲気だった。だから遊びまくった。もっとも中学生のときも、社会人になってからも、結局ずっと遊んでいる人生なので、別に高校の校風とは関係なかったのかもしれない。

三鷹や吉祥寺、中央線沿線が主な遊び場だったが、神保町へも月に一回程度は通っていた。今は亡きレモンの喫茶店でデートしたこともある。アングルが愛読雑誌だったので、喫茶店は大好きだった。神保町の白十字(まだ健在)とか、御茶ノ水のニューポート(大分前に閉店した)とかに出入りしていた。今思うと、なぜそんな小遣いがあったのかが分からない。親からもらうしかなかったはずなんだが。

あと、当然のことながら色気づいて、芳賀書店(もとは左翼系出版社だったらしいが、そのころはもう今の形態だった)も覗いてみた。現在の神保町にはその類のビデオ、DVD屋が乱立しているが、そのころは数軒しかなかったと思う。

もちろん、そんな店だけではなく、まともな本屋や古本屋も愛用していた。一番好きだったのは「山田書店」で、当時としては珍しく新古本というか定価を無視した新刊本を買うことができた。英語は読めなかったが(今でもたいして読めないが)、「北沢書店」の雰囲気も好きだった。

書泉グランデには、なぜか革マルや中核の機関紙がおいてあった(今では他の書店にもあるようだ)。書泉ブックマートの漫画フロアは大きかった。いまほど漫画やアニメが市民権を得ていない時代だったのに・・・

いろいろ書き連ねていくときりがないので、次はまたの機会に。

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