神保町物語1の続き。

中三の冬休みになるまで、塾とか予備校に通ったことがなかった。その当時の世田谷では珍しかった。同級生は、たとえどんなに貧乏な家の子でも、塾ぐらい通っていたはずだが、私は学校の勉強に興味がなかったし、親も放任主義だったため、そのたぐいには縁が無かった。

ところがなぜか高校受験直前、近所の幼なじみに薦められ、駿台の中学生向け冬期講習に参加することになった。今思えば親が影では心配していたのだろう。会場は奥沢の区民会館が入っているビルだったと思う。授業を受けてみると、公立中学校の授業とは水準が違うことに驚いた。当時の私は中学校の教師なんて馬鹿にしていて、勉強なんてたいしたことじゃないと思っていたのだ。

駿台は面白いな、と思って、親にねだって直前講習(?)にも参加させてもらい、今度は水道橋の東京デザイナー学園会場に通った。近くに神保町があることがわかり、早めに家を出て、本屋を何軒か回ってから授業を受けた。ちょうどそのとき喫茶店に入ることを覚え、立ち食い蕎麦屋を愛用するようになった。どうしようもないガキだった。結局そのままどうしようもないオヤジになってしまった。

高校生になると、もっと色々なことを神保町近辺(水道橋、御茶ノ水)で経験することになるのだが、それはまた次の機会に。

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