秋葉原物語5の続き。

1991年の秋に、大阪の桜川というところに転居した。
難波から一駅という便利なところだったので、あちこちを自転車で回った。

大阪日本橋の電気街「でんでんタウン」も自転車なら十五分程度だったから、時々ソフトや家電などを買ったり、単に店を冷やかしたりしていた。その足で新世界へ行き、お好み焼きや串揚げを食べ、さらに南下して釜ヶ崎飛田遊郭(さすがに恐くて入ったことはない)を見物し、帰ってきてからゲームをやる、というのが休みの日のすごし方だった。

1994年ぐらいになると、マハーポーシャの動きが目立ってきた。1995年になると、あの地震だ。そのとき棚から落ちて壊れたテレビはまだ家にある。そして、オウム(オーム)の暴走。Windows95の発売。

オウム(オーム)が悪事にパソコンを使っていたことを知るまで、個人的にはパソコンなんておもちゃだと思っていたのだが(仕事ではSunやHPのワークステーションを使っていた)、いろいろあって結局PC主体の会社に転職し、1995年冬に東京に戻った。

戻ってから秋葉原に行くと、T-ZONEが大きなビル(今のドンキ)で営業していた(もっと前からやっていたのかも)。そこで、パラレルポート接続のCDドライブ(倍速)を買ったことを覚えている。家のパソコンには、まだCDドライブが無かったのだ!

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