究極の傍観者

歴史、文学、宗教など人文科学系情報を中心にしようとは思っていますが、それ以外のことも書きます。人間のすることはみんなどっかでつながっていますから。記事内容に関するコメントやトラックバックはご自由にどうぞ。

2012年07月

散歩記録:隅田川花火大会見物

7月28日の記録。

昨年は変則的な日付だったが、今年は元に戻って7月末。やはりこの時期でないと気分が出ない。

というわけで例年通り本所吾妻橋駅まで電車。スカイツリーの件があるからもっと混んでいるかと思ったがさほどではない。もっとも初めて隅田川花火大会を目指す人は考えずに浅草寺付近に行ってしまうのかも。

18時には道路封鎖開始。とはいえこんなときにこんなところへ車で来るのは田舎者に決っている、と思っていたら迷惑な車が。なんと下関ナンバーのソアラ。ソアラってまだあったのねw

で、例年通り喫茶「エデン」で休憩を、と思ったら店が閉まっている。といってもちょっと前まで開いていた気配がするので、早めに店を閉めて花火見物に出かけたのかも。

同じようなレトロ喫茶が地蔵坂の暖(DAN)。こちらは営業中だったので休憩して、白鬚橋。ちょうど花火が始まる。計算通りだ。

その後はゆっくり言問橋に向かいながら花火見物。言問橋にはちょうど20時頃。これも計算通り。ちょうど橋の真ん中を超えたぐらいでフィナーレ。ぴったりだ。そのままつくばエクスプレスの浅草駅まで歩いて、秋葉原。またまた世界の山ちゃん。さすがに大量の汗をかいたあとのビールと手羽先はうまい。冬でもビールなんだけどw

間違ったリストラを繰り返す日本企業

シャープがとうとう人員削減に踏み切るらしい。もちろんリストラはやむを得ない。が、おそらく、というかほぼ確実に間違った人員削減をするだのだろう・・・

私自身はLYNXで懲りたから、シャープの製品は一生買わないし、潰れたって構わない。が、そのLYNXのOSアップデート問題にしても、なんとか実現しようと頑張っていた現場の意向を無視し、「売れ筋の商品開発を優先しろ、そんなマイナー機種はどうでもいい、『仕様』ということで誤魔化せ!」というバカ重役の判断によって取りやめになったらしい。twitterでの噂ばなしだから本当かどうかわからないが、いかにもありそうな話ではある。私も昔は某大手IT土方企業にいたから想像できる。本当は、マイナー機種だからこそ、それを買ったユーザというのはマニアや専門家であることが多く、怒らせたら一般ユーザより怖いのだ。そんなこともわからなくてよく重役が務まるものだw

そう、今の日本企業の悲惨な状態を招いた責任は、まず重役、次に管理職、いちばん責任がないのが現場の開発者だ。が、重役や管理職といった連中は保身だけはうまく、というか保身がうまいやつほど出世するのが日本企業だからめったに首になることはない。そうして首を切られたり、嫌気がさして自分からやめていくのは現場の人間。現場にも優秀なのとダメなのがいるだろうが、優秀な方は中国や韓国に奪われて日本企業を苦しめる側に回り、またさらなるリストラが必要になる。地獄のループであるw

さて、この地獄からどうやって抜け出すか? 重役や管理職が気づいて腹を切ればいいのだが無理だろう。となれば潰れるまで突き進む、つまり「堕ちるところまで堕ちる」しかない。敗戦後の日本でそう叫んだのが坂口安吾。そういう意味でバブル崩壊は本当に第二の敗戦だった。しかも第一の敗戦よりも回復に手間取っているからな・・・ 最後の望みはやはり「東京大震災」かもw



散歩記録:文京ほおずき市と朝顔市、うえの夏祭り

7月21日の記録。

神保町から水道橋、春日を経てまずは例年通り文京区のほおずき市と朝顔市見物。源覚寺(こんにゃくえんま)と傳通院(伝通院)。まずまずの賑わい。今年はあまり暑くないので散歩がしやすい。

春日通りを東に歩き御徒町。今日はうえの夏祭りのパレード。サンバのリズムが炸裂している。歩道には人だかりが出来ているし、何回も見物したことがあるのでチラ見しただけでレトロ喫茶「丘」。やはり東京DEEP案内でも取り上げてるのねw

その後は不忍池を半周。例年より骨董の店が減っている。なぜだろう?

秋葉原は今回は割愛して散歩終了。京成で千住大橋の「ときわ」。あゆの塩焼とおかひじきと肉豆腐。この店は昔風に店内でテレビを流しているので久しぶりに鑑賞。でもやっぱりテレビはいらないな・・・ 店員の中国人(まだ若い女性)はテレビ好きらしく、日本の芸能界にも詳しいらしい。少なくとも私よりはお笑い芸人を知っている。「中国に帰ったら日本のテレビが見られなくなる」のが心配らしい。「多分ネットなら見られるから」、と常連客らしいおじさん(私よりもずっと年上)が慰めていた。なんか不思議な光景だw

日本の東西対立、東京の東西対立

蝦夷征伐、源平合戦、関ヶ原、明治維新、日本の歴史が東西対立であったのは言うまでもない。明治維新で本当は西が勝ったはずなのに、それ以降、特に敗戦後は東ばっかり発展しているような気もするが、また東京大震災でも起きれば西の時代が来るだろうw

さて、実は東京にも東西対立はある。もともと武蔵国の中心地は今の府中や国分寺あたり。徳川が江戸幕府を開いてからは大阪から漁師を佃島に移住させたりして、東京の東部が栄えるようになった。

明治になって人口が増え、東京の西部、世田谷とか杉並が住宅地として開発された。戦後、空襲で被害を受けた東京東部に変わり、経済的にも文化的にも西側のほうが発展した。そのピークが都庁移転だろう。バブル絶頂(=崩壊寸前)のころの話である。

それから二十年以上経った。今では私が何度もブログ内で繰り返してように、東京をリードしているのは東部、北部だ。上野、北千住、浅草、秋葉原、ちょっと方向が違うが池袋とか板橋。とにかくあっちではまだまだ個人商店も頑張っているし、若い夫婦や子供も多いし、なにより気取っていないのがいい。これからますます発展するだろう。

一方、世田谷とか中央線沿線とか多摩地区とか・・・ 老人だらけw バブル崩壊後も地代や家賃が高止まりしているし、変に気取ったところがあるから若い人達に敬遠されるのも無理は無い。環境バカ住民も多いから産業誘致もできない。いわく、工場は公害の元だから嫌だ、葬儀場ができると土地評価が下がるから嫌だ、ソフト会社ができるとオタクが増えるから嫌だ・・・ これじゃ衰退するしかないw

私も両親も世田谷生まれだし、高校も多摩地区だったし、なにより中央線文化や下北沢文化が栄えていたころを知っているから、本当はもう一回東京の西側に頑張って欲しいが、難しいかも。土地持ち老人(下手すると元は小作だったりする)が死に絶えればなんとかなるかもしれないが、奴ら寿命だけは長いみたいだし。私の生きている間の復活は無理か・・・ そうなると、やはり頼みは「東京大地震」だw

散歩記録:水稲荷神社の富士山山開きと十条の富士山再挑戦

7月15日の記録。

暑いからどこに行こうか迷ったが、まずは昨年も登った高田富士(水稲荷神社)。なにせ年に2日しか登れないから行くなら今日だ。

高田馬場までは電車。連休の中日だというのに早稲田通りは混んでいる。なにか大学で催し物でもあるのだろう。とりあえずとある宗教団体がビラを配っている。東大や早大は重要拠点らしい。昔のオウムと一緒だw

水稲荷神社到着。お稲荷さんにお参りしてからさっそく登山。といっても山頂まで1分もかからない。やたらと消防車のサイレンがうるさい。山頂から覗いてみると10台以上の消防車が通りの向こう側のマンションに集結している。

下山してそのマンションの前に行ってみると、もう消火は終わったらしく、多少煙の匂いが残っている程度。そのまま都電の早稲田駅まで歩き、今度は先々週混んでいて登れなかった十条の冨士神社を目指す。こちらは一年中登れるらしい。

都電で王子駅。王子から東十条までは京浜東北線の西側のくねくねした道を歩く。無事富士神社到着。

先々週はあれほど混んでいたのに、今日は誰もいない。さっそく富士山頂を目指す。低い。高田富士の半分もないかも。不思議なもので空いていると余計狭く低く感じる。先々週は結構大きくて高い山に思えたのにw

十条駅方面の道も空いている。が、商店街はわりと賑やかで若者や子供も多い。他の都内の商店街よりは将来性があるようだ。やはり東京は北部か東部。西南部はだめ、特に世田谷とかw

中央商店街を通って東十条駅に戻り、電車で秋葉原。20時過ぎだがまだ賑わっている。一回りしてから世界の山ちゃん神田須田町店。大汗をかいたせいかコショーがうまい。


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