2010年11月
11月27日の記録。
渋谷駅から散歩開始。
まずは桜丘町のヤギ。私はしょっちゅう触っているが、連れはまだなので立ち寄る。寒いらしく二匹くっつき合って寝ていたが、シロヤギ(さくらちゃん)のほうは私に気が付き(もう友達になっているのでw)、起きだして近づいてくれた。連れが角に触っても怒らない。人懐っこいヤギである。
その後代官山を経て駒沢通り。祐天寺を超えたあたりで左折すれば油面だろうと適当に歩くと、中央中通り商店街のほうに出てしまった。一旦目黒通りに出て山手通り付近まで戻って今度はちゃんと油面地蔵通り商店街。駅から離れているせいか、かなり寂しい商店街だ。競馬場があったころは賑わっていたのだろうか・・・
祐天寺駅前の喫茶店で休憩後東横線乗車。自由が丘で降りるつもりだったが、武蔵小杉駅にずっとご無沙汰していることを急に思い出し、多摩川を渡ることにした。
以前、たぶん10年以上前、武蔵小杉駅近辺を歩いたときには、駅周辺に個人営業の飲食店がたくさんあった。が、再開発でまるっきり変わってしまったようだ。とりあえず駅周辺を一回り。東横病院の周りには昔からの飲み屋が残っているようだが、あとはマンションと大規模店ばかり。昔より若者や子連れ夫婦が増えて賑わってはいるが、私にとってはつまらない街になってしまった。溝の口駅近辺が再開発でつまらなくなったのと同じだ。もっとも溝の口の再開発は相当前に終了しているが・・・
駅に戻ると、ちょうど都営三田線直通の目黒線に乗れたので神保町まで。今週開店したばかりの「世界の山ちゃん神保町店」を目指す。が、満席で追い返される。仕方がないので靖国通りをちょっと歩いて「須田町店」。さすがにこっちには空席があるが繁盛している。不況とはいえ、儲かっている店もある・・・
渋谷駅から散歩開始。
まずは桜丘町のヤギ。私はしょっちゅう触っているが、連れはまだなので立ち寄る。寒いらしく二匹くっつき合って寝ていたが、シロヤギ(さくらちゃん)のほうは私に気が付き(もう友達になっているのでw)、起きだして近づいてくれた。連れが角に触っても怒らない。人懐っこいヤギである。
その後代官山を経て駒沢通り。祐天寺を超えたあたりで左折すれば油面だろうと適当に歩くと、中央中通り商店街のほうに出てしまった。一旦目黒通りに出て山手通り付近まで戻って今度はちゃんと油面地蔵通り商店街。駅から離れているせいか、かなり寂しい商店街だ。競馬場があったころは賑わっていたのだろうか・・・
祐天寺駅前の喫茶店で休憩後東横線乗車。自由が丘で降りるつもりだったが、武蔵小杉駅にずっとご無沙汰していることを急に思い出し、多摩川を渡ることにした。
以前、たぶん10年以上前、武蔵小杉駅近辺を歩いたときには、駅周辺に個人営業の飲食店がたくさんあった。が、再開発でまるっきり変わってしまったようだ。とりあえず駅周辺を一回り。東横病院の周りには昔からの飲み屋が残っているようだが、あとはマンションと大規模店ばかり。昔より若者や子連れ夫婦が増えて賑わってはいるが、私にとってはつまらない街になってしまった。溝の口駅近辺が再開発でつまらなくなったのと同じだ。もっとも溝の口の再開発は相当前に終了しているが・・・
駅に戻ると、ちょうど都営三田線直通の目黒線に乗れたので神保町まで。今週開店したばかりの「世界の山ちゃん神保町店」を目指す。が、満席で追い返される。仕方がないので靖国通りをちょっと歩いて「須田町店」。さすがにこっちには空席があるが繁盛している。不況とはいえ、儲かっている店もある・・・
ところで「足と刑事」って言えばこれ。
新しい方。
古い方。
実はこのDVDを持っている。新旧を比較できるのでおすすめ。
以前もこのブログで紹介したことがある澁澤龍彦の「滞欧日記」をまた引っ張り出してきた。面白い(けどくだらない・・・)ことに気づいたのでご報告。
一回目のヨーロッパ旅行は、1970年の9月1日から11月4日まで。これだけ長い期間だと、日本人なら日本料理が食べたくなっても不思議ではない。が、回数が問題だ。
ざっと数えてみたところ、澁澤氏はこの期間中、少なくとも11回は日本食を食べている。すべての食事記録が書かれているわけではないから、実はもっと多い可能性もある。これとは別に、中華料理店にも最低6回は行っている。ちょっと箸を使う食事の回数が多すぎる気がする。
もちろん人が何を食べたって自由なのだが、あれだけヨーロッパの文化に詳しい渋澤氏にしては芸がない。さすがにレストランでは内臓やウズラの料理を好んで注文しているが、ワインやチーズに関するこだわりはあまりないようだ。1970年の話だから、「時代が違う」と言ってしまえばそれまでだが・・・
一回目のヨーロッパ旅行は、1970年の9月1日から11月4日まで。これだけ長い期間だと、日本人なら日本料理が食べたくなっても不思議ではない。が、回数が問題だ。
ざっと数えてみたところ、澁澤氏はこの期間中、少なくとも11回は日本食を食べている。すべての食事記録が書かれているわけではないから、実はもっと多い可能性もある。これとは別に、中華料理店にも最低6回は行っている。ちょっと箸を使う食事の回数が多すぎる気がする。
もちろん人が何を食べたって自由なのだが、あれだけヨーロッパの文化に詳しい渋澤氏にしては芸がない。さすがにレストランでは内臓やウズラの料理を好んで注文しているが、ワインやチーズに関するこだわりはあまりないようだ。1970年の話だから、「時代が違う」と言ってしまえばそれまでだが・・・
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